こんな時代もあったねと
いつか、平成という時代があったんだよ、と、話す時間もあるかもしれない。
今、まさに、時代の節目。
一人、和歌山の紀伊田辺のビジネスホテルで、中島みゆきさんの『時代』を聞きながら、平成を思い返し、これから来る新しい時代を迎える準備をしている。
改元。それはとてもおめでたいことだと思う。
時代が変わる。人間の進化にも似た壮大な大きなながらの移り変わりの薫りがする。
でも、忘れてはいけない。
僕たちは、ぼくは、時代が移り変わっても、変わろうとしなければ、何も変わらない。
いつだって、時代は、時間はぼくたちを置き去りにして、どんどん歩みを進めていく。
イノシシが前に進むように、ただ猛烈に前にすすめる力だけを働かせて。
過ち、後悔、反省、そんな、ゆっくりと時間をかけて整理したいことも
成功、成果、そんな、ゆっくりと時間をかけて自分に酔いしれたいことも
いつだって、時間の進み方は変わらなくて、ぼくたちは、その時間を残酷だとも思うし、一番の味方だとも感じることもある。
時間は、いつも僕たちに見せてくれる表情を変えない。何も差別せず、いつも同じ態度で接してくれている。
今回も、そう。時間は変わるけれど、ぼくは何も変わっていない。
時代が変わることで、何かができる気になる。
時代が新しくなることで、これまでの過ちがなくなる気がする。
でも、そんなことは全くない。
いつも時間の進みは変わらない。
時代はいつも、ぼくたちに同じ姿勢で対峙して、お前は、この舞台で何をするのかと、試してくる。
いつだって、やるかやらないかは、ぼくたち次第。
それを忘れてはいけない。
平成で作った夢を、令和で一つ一つ叶えていこう。
創造力をもって、平成の夢よりも素敵な夢を実現していこう。
花見の”花”はいつから桜になったのか。
3/31の日記です。
仕事しているときに思ったこと、考えていることも記事にしたいのですが、書きたいように書いていきます。
できるだけ、自然体で。書くことに真摯に向かえるように。
桜を見ると、思い出す詩があります。
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
ー井伏鱒二
一見悲しく響く詩ですが、この詩をみると背筋が伸びる気持ちになります。
今日はお昼ごろに目が覚めました。
昨日降っていた雨は夜のうちにやんでいて、春らしい、やさしいひかりが部屋を照らしていました。
そのひかりは、だらけきったぼくの体を、しぼんだ心を外に向かわせるには、十分なちからがありました。
「桜を見にいこうよ。」
飾らない、だけど、どこか恥ずかしさを感じるセリフを口にしていました。
むかったのは、上野公園。
東京にきてから、3年がたつのに、初めての上野公園でした。
さすが、東京の桜の名所だけあって、まずおどろいたのは、ひとの数です。
公園に向かうひと、公園内を歩くひと、シートを引いて宴会をしているひと、
みんな異なる過ごし方で、桜の満開と春の訪れを祝福していました。
お酒もシートも持ち合わせていなかったぼくは、最もシンプルに桜を見る方法をえらびました。
春の薫りに身をゆだねて、猛烈なひとの流れにペースを任せ、ゆっくりと、咲き乱れている花弁に目を向けていました。
喧騒は相変わらずでしたが、その淡い紅色の花びらが連なっているのを見ていると心は落ち着きました。
儚げで、脆そうな花びら一枚一枚が集合し、めいいっぱいその小さな身体を広げて満開の状態を形作っている様は、雄大さすら感じさせました。
「花びらが舞ってる!」
宴会中、声のボリューム調整を誤った人の声におどろき、その声の方向に目を向けると、2、3枚の桜の花びらが空中を舞っていました。
まるで踊るように、でも、時の流れを実感させてくれるようにゆっくりと、それは地面に向かっていきました。
永遠なんてものはないかもしれない。
だけれど、いや、だからこそ、今を美しく思えるのだと、改めて、感じました。
日常は、永遠に続くように思えるけども、時代は流れ、ぼくたちは歳をとる。
体の中で、細胞は生まれ、同じ数の細胞が秒単位で死んでいく。
そうやって考えてみると、もうすでに、今の自分と1秒後の自分は、別人なのかもしれない。
ぼくという単位でみても、今のぼくと同じぼくは二度と存在しない。
ぼくたちの日常は、いくつもの”さよなら”の上に成り立っているのだと、そう思いました。
古典の伊勢物語にも、散りゆく桜を見て、変化する世の中を詠った歌があります。
世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
ー在原業平
散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき
ー詠み人知らず
世の中の万物は、良くも悪くも、変わっていく。
それはどうすることもできなくて、ただ受け入れるだけ。
その行為は、寂しく感じるけれど、決して、そんなことはないはずだと信じたい。
有限によって与えられたものは、永遠よりも素晴らしいはずだと、信じたいです。
春の始まりを告げる桜は、今年も力いっぱい、生きていました。
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